2008年03月30日

「モントリオール世界映画祭(カナダ)」の解説です!

モントリオール世界映画祭(Festival des Films du Monde - Montréal)は、毎年8月下旬から9月頭にかけてカナダのモントリオールで開かれるFIAPF公認の国際映画祭。1977年から開催されており、トロント国際映画祭と並び北米最大規模の映画祭である。


【 概要】
近年は、8月末から9月初旬に行われるヴェネツィア国際映画祭、9月に開催される世界三大映画祭のひとつであるトロント国際映画祭と開催時期が重なるようになり、ワールドワイドな求心力を失いつつある。しかし、それでもトロント国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭を上回る例年350以上の作品が上映され、来場者数250,000人はトロント国際映画祭(来場者数321,000人)に及ばないもののヴェネツィア国際映画祭の174,000人を凌ぐ規模を維持している。


【最優秀作品賞受賞作品】
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2008年03月28日

カンヌ国際映画祭(フランス)の解説ーー 概要版  ーー

映画祭会場前(2004年)カンヌ国際映画祭(Festival International du Film de Cannes, 1946年 - )は、フランス政府が1946年開催して以来、ほぼ毎年5月にフランス南部の都市カンヌで開かれている世界最大規模の国際映画祭。単に「カンヌ映画祭」とも呼ばれている。

【概要】
ベルリン国際映画祭、トロント国際映画祭と併せ、世界三大映画祭の一つである。
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ベルリン国際映画祭(ドイツ)の解説です! -- 概要版 --

Berlinale 2007ベルリン国際映画祭(ベルリンこくさいえいがさい、Internationale Filmfestspiele Berlin, 1951年 - )は、ドイツのベルリンで毎年2月に開催されるFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭。カンヌ国際映画祭、トロント国際映画祭と並び世界三大映画祭のひとつに数えられる。ドイツではベルリナーレ(Berlinale)と呼ばれることが多い。


【概要】
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「ヴェネツィア国際映画祭(イタリア)」の解説です!

ヴェネツィア国際映画祭(Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞(Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

【概要】
世界最古の歴史を持つ国際映画祭である。
国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、2006年の上映作品数は第41位(115本)、来場者数は第10位(174,000人)であった。
かつてはカンヌ国際映画祭、>>>この記事の続きを読む

2008年03月26日

オブ・フェームを模して、セントルイスやトロントなど、他の都市でも類似したウォーク・オブ・フェームが作られている。


【豆知識】
1960年2月9日、女優ジョアン・ウッドワードが最初の星を獲得した。
文芸分野で初めて星を獲得したのは、TVドラマ「スタートレック」の原作者、ジーン・ロッデンベリーである。
アポロ11号の宇宙飛行士のための丸い星がハリウッド・バイン(交差点)の四方にある。
カントリー・アンド・ウェスタンの歌手ジーン・オートリー(Gene Autry)が5部門における功績により、5個の星を獲得したのが最多である。
人間でなくても受賞することがある。ミッキーマウス・くまのプーさん・ビッグバード・名犬リンチンチン・名犬ラッシーおよび先述のゴジラなどである。

「マール・デル・プラタ国際映画祭(アルゼンチン)」の解説です!

マル・デル・プラタ国際映画祭(Mar del Plata International Film Festival)は、アルゼンチンのブエノスアイレス近郊の港町マル・デル・プラタで開催される映画祭。1954年に設立され、毎年3月に開かれるFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭である。


【概要】
1970年以来、軍事政権下のために中止されていたが、1996年より再開されている。
来場者数は例年約140,000人、プロデューサーや配給会社、ジャーナリストたちも世界中から集まるという。

【賞】
最優秀作品賞のほかに監督賞、男優賞、女優賞、審査員賞、脚本賞、イベロアメリカ作品賞などの賞がある。


【最優秀作品賞受賞作品】
1959年 『野いちご』:イングマール・ベルイマン (スウェーデン)
1960年 『橋』:ベルンハルト・ヴィッキ (ドイツ)
1961年 『土曜の夜と日曜の朝』:カレル・ライス (イギリス)
1962年 『I Giorni Contati (限られた日々)』:エリオ・ペトリ (イタリア)
1963年 『Az Angyalok Földje』:ギオルギ・レーヴェース(György Révész、ハンガリー)
1964年 『Gli Indifferenti』:フランチェスコ・マゼリ (イタリア)
1966年 『¡At' Zije Republika!(共和国万歳!)』:カレル・カヒニャ (チェコスロヴァキア)
1968年 『俺たちに明日はない』:アーサー・ペン (アメリカ)
1970年 『Macunaíma(マクナイーマ)』:ホアキン・ペドロ・デ・アンドラデ (ブラジル)
1996年 『El Perro del hortelano(農場の番犬)』:ピラール・ミロ (スペイン)
1997年 『タンゴ・レッスン』:サリー・ポッター (イギリス・フランス・アルゼンチン)
1998年 『Abr-O Aftaab』:マハムード・カバリ (イラン)
1999年 『ジェラートの天国 As Bodas de Deus』:ジョアン・セザール・モンテイロ (フランス・ポルトガル)
2001年 『To ja, zlodziej』:ヤシェック・ブロムスキ(Jacek Bromski、ポーランド)
2002年 『Bolívar soy yo』: ヨルヘ・アリ・トリアーナ(Jorge Alí Triana、コロンビア・フランス)
2003年 『Separações』:ドミンゴス・デ・オリヴェイラ (ブラジル)
2004年 『Buena vida delivery』:レオナルド・ディ・セザーレ(Leonardo Di Cesare、アルゼンチン・フランス)
2005年 『Le Grand voyage』:イスマエル・フェルーキ (フランス・モロッコ)
2006年 『Noticias lejanas』:リカルド・ベネット (メキシコ)
2007年 『M』(M):ニコラス・プリヴィデラ (アルゼンチン) ※山形国際ドキュメンタリー映画祭2007コンペティションで上映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「トロント国際映画祭(カナダ)」の解説ーー 概要版 ーー

【概要】
例年300以上の作品が上映され、来場者数321,000人(ベルリン、カンヌに次ぐ規模)を誇る北米最大の映画祭であり、オスカー・レースの始まりとなる重要な映画祭となっている。

1976年に"The Festival of Festivals"として開催されたのが始まり。これは、世界中の映画祭で上映された優れた作品を集めて上映するというものであった。その後、多くの出資者やオーガナイザーの助力により、ハリウッド映画にとって欠かせない映画祭に成長した。

FIAPF登録上は6月開催の国際映画祭であるが、近年は9月に行われている。この為、同じく北米最大規模の映画祭であるモントリオール世界映画祭(8月下旬から9月頭)と開催時期がほぼ重なり、競合状態となっている。

これまで、『炎のランナー』『再会の時』『アメリカン・ビューティー』『サイドウェイ』『ヒトラー 〜最期の12日間〜』『クラッシュ』といった作品がこの映画祭でプレミア上映されている。

【賞】
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ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が彫られた者

人物以外の架空のキャラクターも対象になっている。以下は、その代表的な例。

A / B

ジューン・アリスン /エディ・アルバート/ポール・アンカ/ルイ・アームストロング/フレッド・アステア/リュー・エアーズ/ルシル・ボール /アントニオ・バンデラス/セダ・バラ/ジーン・バリー/ドリュー・バリモア/エセル・バリモア/ジョン・バリモア/ライオネル・バリモア/アン・バクスター/ザ・ビーチ・ボーイズ/ハリー・ベラフォンテ/アーヴィング・バーリン/サラ・ベルナール/ザ・ビートルズ/ウォーレン・ベイティ/ハンフリー・ボガート/レッド・バトンズ/パット・ブーン/シャルル・ボワイエ/クララ・ボウ/マーロン・ブランド/ピアース・ブロスナン/レナード・バーンスタイン

C / D

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ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームとは?ーー 概要 ーー

カーミット(キャラクター)のスターハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(またはハリウッド名声の歩道, Hollywood Walk of Fame)とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッドの、ハリウッド大通りとヴァイン通り沿いの歩道のことである。

ここには約5kmほどの間に、ショービジネス界で活躍した人物の名前が彫られた2000以上の星型のプレートが埋め込んであり、観光名所となっている。毎年星の数は増えており、追加する際のセレモニーには本人も参加する。

1959年よりハリウッドの商工会議所により設立された。最初の6ヶ月で1500以上の星が埋め込まれ、1994年にその数は2000を超えた。現在では毎年6月に、映画、音楽、テレビ、ラジオ、舞台名の5つの分野で活躍した人物を対象に、20名ほどの候補者から一般の投票によって選ばれる。

日本人および日本に関するキャラクターとしては早川雪洲、マコ岩松、ゴジラの星がある。

特徴
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2008年03月16日

ハリウッドサインのエピソード(その2)

最初は「HOLLYWOODLAND」だった。

しかし、女優のPeg Entwistle(本名:Lillian Millicent Entwistle、1908年7月1日ロンドン生まれ)が、映画「Thirteen Women」の出演に決定したが後に取り消しとなった事に悲観し、1932年9月18日の夜「HOLLYWOODLAND」の「H」に立てかけてあった作業用の梯子を使い、その上まで登り飛び降り自殺した。

その後不吉の原因は「HOLLYWOODLAND」の13文字にあるとみなされ、「LAND」の4文字が撤去され、現在の9文字になった。

映画の中心地・ハリウッドの歴史を振り返る

1903年、当時農村だったハリウッドは市制を施行するが、1910年にロサンゼルス市と合併した。

20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであった。

特許をめぐる争いが発端となり、当時の大手映画製作者や映画関連機器製造業者、製造業者ら9社はそれぞれの特許を持ち寄って管理するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー を1908年に設立した。これに参加しない映画関連業者にはカンパニーから高額の特許料が請求された。

参加が認められなかった中小の制作者らは一斉にこれに反発。特許料を払わずに買えるヨーロッパ製の機器やフィルムを使って撮影を続行した。

カンパニー側は探偵を雇って違反者を片端から摘発したため、独立系の制作者はカンパニーの目のとどかぬ土地に出かけて映画を制作した。中でもロサンゼルス一帯は気候もよく、映画の撮影には理想的で、映画人が集まり始めた。

又、この地はメキシコに近く、カンパニー側の追っ手がやってくる事を察知して国境を越えて逃げる事が出来た。なお、カンパニーは1912年に反トラスト法違反であると指摘され、1915年には連邦裁判所で反トラスト法違反であるとされた。

カンパニーは1917年には消滅し、これに前後してカンパニー参加業者らも次々にハリウッドに拠点を移した。

当時アメリカ経済の中心だった東海岸は天候が悪かった。当時の映画は、フィルム感度の問題から屋外のような明るい場所でしか撮影出来なかった。電球などの照明はあったが、映画撮影を行うには十分な明るさを確保出来なかった。

そのため映画会社は、日が長く、地中海性気候のため夏にまばゆい太陽が輝くカリフォルニア州に次々に移っていった。

最初のハリウッドの映画スタジオは、1911年にネストール社が建てたものである。同じ年に、さらに15のスタジオが建てられた。

まだ民族差別の激しかった時代のハリウッド・スターや監督達は、出自を偽る事が多かった。当時はまだワスプがアメリカの支配層であり、イタリア系やユダヤ系などの真の出自を表に出してはスターにはなれなかったからである。

2007年12月31日

アイ・アム・レジェンドの解説版(公開中)

原題: I AM LEGEND
製作年度: 2007年

製作国・地域: アメリカ 上映時間: 100分


解説: 人類が絶滅した近未来を舞台に、たった1人生き残った男の奔走を描くSFドラマ巨編。『コンスタンティン』のフランシス・ローレンス監督が、『幸せのちから』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたウィル・スミスを主演に、自分以外の生存者を探す科学者が人類再生の道を模索する姿を描く。無人と化したニューヨークを背景に、希望と絶望が混在する究極の孤独の中で使命感に燃える科学者の姿に引きこまれる。(シネマトゥデイ)

あらすじ: 2012年。人類が死滅してしまった地球でたった1人、有能な科学者のロバート・ネビル(ウィル・スミス)だけが生き残る。彼は究極の孤独と闘いながら愛犬サムとともに3年間もの間、ほかの生存者の存在を信じて無線で交信を続け、人類再生の道を探ってきたが、彼に謎の敵が迫っていた。(シネマトゥデイ)

インタビュー
2007年12月13日
『アイ・アム・レジェンド』ウィル・スミス 単独インタビュー
不朽のSF小説「地球最後の男」の3度目の映画化となる『アイ・アム・レジェンド』。主人公の科学者を演じたウィル・スミスが映画の見どころや成功の秘訣(ひけつ)について気さくに語ってくれた。
映画レポート「アイ・アム・レジェンド」映像技術の進歩は感じるが、知の部分の空洞の大きさに愕然とする

 CGによる映像技術の進歩が、逆に映画作りを難しくしていると感じさせられた一本だ。ま、この映画に限ったことじゃないけどね。荒れ果てた無人のマンハッタンを鹿やライオンが走り回る光景はまさにその進歩の賜。殺人ウィルスに感染して凶暴になり、暗闇でしか生きられないダーク・シーカーズの超人的な動き、強さも、CGのお陰だ。TVスポットでは「たった1人生き残った」ウィル・スミスを強調していたが、それは「元の体のままの人間」という意味。変異した人間たちは圧倒的多数派なのに、どうやって生きているのか、凶暴な動き以外は何も描かれていない。マシスンの原作では彼らこそが新人類で、それが最高のアイロニーになっているのだが。  CGの進歩で何でも描けるようになって、映画の作り手たちは見えるものだけで勝負するようになった。見えないものを想像させ、考えさせるからこそ面白くなるのに。この映画もしかり。ウィルの日常生活、孤独や喪失感などははっきり見えてとても分かりやすい。見ている間はそれなりに楽しい。だが、見終わってから、あそこはどうなっているのと考え始めると、知の部分の空洞の大きさに愕然とする。コンピューターを一つ破壊するだけでライフラインを全滅させられる時代、ガスや電気や水が元通りってどういうこと?と、酒の肴になる突っ込みどころは満載だ。(森山京子)(eiga.com)

[2007年12月13日 更新]

2007年09月29日

アメリカン・ニューシネマの代表的作品(いちご白書、ファイブ・イージー・ピーセス、ダーティハリー、カッコーの巣の上で 他)

『いちご白書』-The Strawberry Statement (1970)
(監督:スチュワート・ハグマン 出演:ブルース・デイヴィスン/キム・ダービー)
学園紛争に引き裂かれていく男女2人の恋。

『ファイブ・イージー・ピーセス』-Five Easy Pieces (1970)
(監督:ボブ・ラフェルソン/出演:ジャック・ニコルソン)
裕福な音楽一家に育ちながら、他の兄弟とは異なる流転の青春を送る男の心象を淡々と描く。エンディングがアメリカン・ニューシネマ的な印象的な作品。


『フレンチ・コネクション』-The French Connection (1971)
(監督:ウィリアム・フリードキン 出演:ジーン・ハックマン/ロイ・シャイダー/フェルナンド・レイ)
麻薬組織に執念を燃やすポパイことドイル刑事の活躍。体制側の視点から社会病理を描く。

『ダーティハリー』-Dirty Harry (1971)
(監督:ドン・シーゲル 出演:クリント・イーストウッド/アンディ・ロビンソン)
殺人を犯しながら無罪放免になった犯人と刑事との攻防を描き加害者と被害者の人権問題を提起している。

『破壊!』 -Busting (1973)
(監督:ピーター・ハイアムズ 出演:エリオット・グールド/ロバート・ブレイク)
麻薬組織と癒着した警察に反旗を翻す刑事2人の活躍と挫折。

『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』-Dirty Mary Crazy Larry (1973)
(監督:ジョン・ハウ/出演:ピーター・フォンダ/ヴィック・モロー)
カーレース用の車を手に入れるために>>>続きを読む

2007年09月25日

アメリカン・ニューシネマの代表的作品紹介

『俺たちに明日はない』-Bonnie and Clyde (1967)
(監督:アーサー・ペン 出演:ウォーレン・ベイティ/フェイ・ダナウェイ)
世界恐慌時代の実在の銀行ギャング、ボニーとクライドの無軌道な逃避行。ニューシネマ第1号作品。

『卒業』-The Graduate (1967)
(監督:マイク・ニコルズ 出演:ダスティン・ホフマン/アン・バンクロフト/キャサリン・ロス)
年上のロビンソン夫人に肉体を翻弄される若者ベンジャミンの精神的葛藤と自立。サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』や『サウンドオブサイレンス』も印象的。

『ワイルドバンチ』-The Wild Bunch (1968)
(監督:サム・ペキンパー 出演:ウィリアム・ホールデン/アーネスト・ボーグナイン/ロバート・ライアン)
西部を荒らしまわる盗賊団ワイルドバンチの壮絶な最期。

『イージー・ライダー』-Easy Rider (1969)
(監督:デニス・ホッパー 出演:ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/ジャック・ニコルソン)
社会的束縛を逃れて旅を続ける若者たちに迫る迫害の手。

『明日に向って撃て!』-Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
(監督:ジョージ・ロイ・ヒル 出演:ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/キャサリン・ロス)
西部を荒らしまわった実在のギャング、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの友情と恋をノスタルジックに描く。

『真夜中のカーボーイ』-Midnight Cowboy (1969)
(監督:ジョン・シュレシンジャー 出演:ジョン・ヴォイト/ダスティン・ホフマン)
ニューヨークの底辺で生きる若者2人の固く結ばれた友情とその破滅に向う姿を描く。


2007年09月24日

ニューシネマの誕生とその特徴についての考察

1940年代までの黄金時代のハリウッド映画は、「観客に夢と希望を与える」ことに主眼が置かれ、英雄の一大叙事詩や、夢のような恋物語が主流でありハッピー・エンドが多くを占めていた。

1950年代以降、スタジオ・システムの崩壊やテレビの影響などによりハリウッドは制作本数も産業としての規模も凋落の一途を辿り、また「赤狩り」が残した爪痕などにより黄金時代には考えられなかった暗いムードをもった作品も少なからず現れたものの、基調としては1960年代後半まではかつてのハリウッドのイメージを踏襲していたと言えよう。

一方、ヨーロッパにおいては1950年代末期からヌーヴェルヴァーグを起点とする新しい映画の流れが勃興しつつあった。

ニュー・ジャーマン・シネマ、チェコ・ヌーヴェルヴァーグなどがその代表であり、いずれも続きを読む

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す。英語では”New Hollywood”がこれを指す。

1967年12月8日付けの「タイム」誌は、『俺たちに明日はない』を大特集し、派手な見出し「ニューシネマ 暴力…セックス…芸術! 自由に目覚めたハリウッド映画」という記事の中で新しい米国映画の動向をレポートした。
『俺たちに明日はない』 >>
<<あらすじ>>
1930年代のクライド・バーローとボニー・バーカーの実話を元に描かれている。

クライド(ウォーレン・ビーティ)がボニー・バーカー(フェイ・ダナウェイ)の母親の車を盗もうとする場面から映画は始まる。

ボニーはクライドの非合法的な続きを読む

世界の映画の中心地・ハリウッドの歴史紹介

1903年、当時農村だったハリウッドは市制を施行するが、1910年にロサンゼルス市と合併した。

20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地は続きを読む
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