2008年03月31日

「赤ひげ」は黒澤明監督作品です!

『赤ひげ』(あかひげ)は、1965年に東宝、黒澤プロダクションにより製作された日本の映画。白黒作品。

山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を、黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い2年の歳月をかけて映画化した黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作。完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめ、興行も大ヒットを収めた。

当初、1964年末封切の予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの「三大怪獣 地球最大の決戦」が制作された。また、赤ひげ役の三船敏郎は白黒映画にもかかわらずこの作品のために本当にひげを赤く染めていたという逸話も残っている。

国内のみならず、海外でもヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞。主演の三船敏郎もヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞したが、同時にこれが黒澤映画における最後の「白黒映画作品」「三船出演作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となった。翌1966年、黒澤は東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。


ストーリー
舞台は江戸時代の小石川養生所。

長崎で当時最新のオランダ医学を学んだ青年医師・保本登は、見習いとして小石川養生所に住み込むことになった。エリートとしての矜持もあり、養生所を訪れる貧しい庶民たちや「赤ひげ」と呼ばれる無骨な所長・新出去定になじめず気を腐らせる。長崎への遊学中に婚約者に裏切られた事や、ゆくゆくは典薬医まで登るという医師の出世コースから外れて養生所へ入れられてしまったという不満で鬱屈し、投げやりな態度で過ごしていた。

当初は養生所を出て行く事を望んだ登であったが、赤ひげの診断の確かさと優れた医療技術を目の当たりにして徐々に変化が訪れる。多くを語らない赤ひげのこれまでの来し方、弱者への赤ひげの目線、そして市井に生きる人々の様々な人生に触れた登の心は……


医は仁術
多くの若者がこの『赤ひげ』を見て医師への道を目指したことも有名であり、喧嘩太郎で有名な武見太郎の言動も、この赤ひげに通じるところがあった。因みに武見太郎が日本医師会会長になったのが1957年、山本周五郎が『赤ひげ診療譚』を著したのは1958年である。
赤ひげは主人公の青年医師に、「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非(えせ)医者が大部分なんだ。」と述懐している。
赤ひげの居た小石川養生所は、患者が増えるにつれ幕府から経費を削られた。今でいう「公的医療費の削減」である。弱きにしわ寄せをした幕府に赤ひげは激しく憤り、権力者・富める者からは多額の薬代を取り立てる一方、貧しい者からは薬代を取らなかった。後のブラック・ジャックにも通じるエピソードである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
監督 黒澤明
製作 田中友幸
菊島隆三
脚本 井手雅人
小国英雄
菊島隆三
黒澤明
出演者 三船敏郎
加山雄三
山崎努
音楽 佐藤勝
公開 1965年4月3日
上映時間 185分
製作国 日本
言語 日本語
posted by abelu at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 黒澤明監督作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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